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【雑談回】ユノートルになる前の大変だった頃のお話をしてみます。

こんにちは。ユノートルです。

いつも風の谷U2ラジオを聞いていただきありがとうございます。ブログの方もありがとうございます。

今回のテーマはいつもとは違って雑談として個人のお話をしようと思ってます。自分はユノートルとしてここ数年は活動してますが、当たり前ですがユノートルではない人生の方が長く、そして波瀾万丈でした。今日はそんなユノートル以前のお話をしていこうと思います。ゆっくりとお聞きいただけたら幸いです。


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さて、どこから話したらいいものかと思ってますが、ちっちゃい頃の話やレーサーを夢見てた青春時代のことは、まー、もうちょっと時間がたって、そんな需要も感じた時に話ができたらと思っているので、今回は今のユノートルとしての活動をしている理由みたいな、そんな人生の振り返りができたらなぁと思います。

いきなりちょっと大袈裟な話になっちゃうんですけど、僕は自己破産をしてるんですよー。こんなことを言うとちょっと、えっ!って思っちゃう人もいるから、少し丁寧に話そうと思ってるんですけどー、まー、ちょいちょい話をしてるので知ってる方も多いと思いますが、僕は30歳くらいから会社経営をしていました。もともと起業とかに興味があった訳ではなく、どちらかというとその選択しかないような状況になってしまったので起業をしたという流れです。

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レーサーの話は今度と言いましたが、自分はバイクレーサーを夢見たりして、東京でバイク便をやりながらチームに入れてもらって目指してました。そこで事故をやってしまって誰も頼る人もいなかったので地元に強制的に戻ったという話なのですが、そんな訳で、大学をちゃんと卒業したり、きちんとした就職活動をしたりしてはきませんでした。

で、地元の金型屋さんに就職して5年ほど勤めたのですが、何か夢みたいなものを諦めた気持ちが多くてモンモンとしていて、そこから一念発起してデザインの勉強を始めました。25歳くらいの時です。こちらももちろん美大をでたり、何かデザインのスキルがあったりした訳ではなく、まったくのゼロからのスタートでして、営業から下請けからありとあらゆることをやりました。あるデザイン会社に入ることになって、そこでは営業をやっていて仕事も増えたりしていたので、後輩を誘ったりしてメンバーも増やしたのですが、元々の借入も多かったため経営がかんばしくなく、そのため自分もなんとかせねばと思って頑張りすぎて倒れてしまいました。救急車に運ばれて病院で目覚めた時に、ちょっと考えないとなーって思って、戻ってから後輩たちにやめようと相談してたところ、みんなで会社を立ち上げましょうって話になって、まー、しょうがなく自分が代表となって会社経営を始めたっていうお話です。


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その時の後輩たちがいわゆる初期メンバーで5人で始めました。フランス語で数字の5を表すサンクという名前です。男5人の会社だったので、周りからはサンクなんてオシャレな名前じゃなくて汗とかにすればーってからかわれたりしましたが、メンバーもクライアントも仲良く和気藹々と始められました。

毎日徹夜したりとなかなかにハードでしたが、それなりに目標もあって楽しい創業時代でした。ここら辺が今の自分の心の奥底にある憧れみたいなものだと思ってます。戻れないからこそ何かすごく輝いていたそんな記憶です。

サンクは順調に成長して売上も年商で数億出したりして、スタッフも外部の常駐も入れたりすると20人くらいの大所帯になって、県内でも有数のデザインプロダクションになりました。ただ、自分は経営者としてはまったくの未熟者だったと感じていました。


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もともと自分はあんまり経営者というものに興味もなかったので、初期メンバー全員に取締役になってもらって、肩書き上として代表は自分がなっていたという形をとっていました。これ、上手くいってる時はいいんですけど、経営が難しくなってくるとあんまり良くない形なんですね。いい時は売り上げを分配して、悪い時は責任を全て背負うというのが、この状態での会社経営の図式になっていました。

スタッフもそれだけいるといろんなことが起こってきて、派閥のようなものも出来始めます。初期からやってくれていた人たちの文化も通用しなくなり、口が上手い人間に心を動かされる人たちもでてきました。僕の仕事のほとんどがスタッフとのコミュニケーションになっていきました。自分が経営している会社なのに、行くのが苦しくて毎日吐きながら通ってました。それでも会社に到着したら笑顔でみんなと話していたりと・・・。こんな経験は普通の人はあんまりないんだろなぁと思います。これが今でも人とはちょっと距離を置きたいと思う理由のひとつです。

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悪くなった循環はなかなか元に戻すのに難しく、初期からいてくれたメンバーたちとも距離ができるようになりました。負債はもちろん分配することもできないので自分が背負っていくことに。なんとかスタッフたちとコミュニケーションをしながら、いろんな戦略をとって起死回生の一手を見つけようと頑張りましたが、そんな美味しい話はなかなかなく。そんな中でもまた盛り返して2年ほどは良くなった期間もあったりはしたのですが、やはり人をまとめていくことの難しさは乗り越えることができず、一切の責任を自分に与えていたので、できる選択が自己破産というものになってしまったというお話です。

ちょっとだけ言い訳をさせてもらえるなら、借り入れの半分は僕の自己資産からの出資でもあり、残りの半分の多くは銀行からの融資で、それも全て保証協会とおしだったので、銀行さんも最終的には保証をしてもらえたと。売り上げがいい時もいっぱいあったので税金もその何倍、何十倍も納めてるし・・・。ただ初期のメンバーたちの本来もらえる配当などは戻せなかったり、一部の関係者には最後の1ヶ月分の支払いができなかったりもしました。あくまでも言い訳です。

まだ続けられたのかも知れませんが、お金のこと、人間関係のこと、社会のことにほとほと疲れ果てたので、いったんリセットしたいということもあってそんな選択をしました。

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僕はどちらかというとみんなと仲良くだったり、一緒に夢をみていくとか、そんな感じの世界が好きで、この世界でもそんな夢に向かって楽しく歩んでいましたが、現実はなかなかに厳しく、やはり会社というものはしっかりとルールと作り、上下関係もきちんとして、精神的なものよりもロジックをつきつめて、いかに安定させるかを考えないといけないかを、会社倒産という経験をして初めて実感しました。

それが、今、お金や会社や人間関係などと、ほどよく距離をとっていたいという理由の正体なんじゃないかと思っています。

たぶん自分は今会社経営をやったら、こういった経験から、それなりに上手くやれるんじゃないかとも思っています。今活動していても、こうやったら良さそうだよなーっていう展開もないわけではありません。ただ、それを第一に考えて暮らしていこうとはこれっぽっちも思いません。自分には向いてないだろうなぁという感覚があるし、なによりもそれでは生きてるって実感が僕にはないだろうなぁと思っています。

そういったことを含めて、今自分がこのような場所でこのようなことを始めているんじゃないかと思っています。

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さて、今日は、ちょっと暗い話になってしまったのかも知れませんね。自己破産とか言われると嫌な思いをされるかたもいらっしゃったかも知れません。ごめんなさい。ただ、僕がどうしてこんなお話をしたかについては理由があって、実は、今、人生が生きてきた中で一番楽しいって思うくらいの状態になっているんです。

自己破産して終わったかなーって思ったはずの人生だったのですが、なんとそこからが本格的な人生の始まりだったということを感じているので、そのことを伝えようと思ってお話させていただきました。

次回はもうちょっと楽しいお話になります。もし、今、ちょっと大変だなーって思っている方はもちろん大変な時はなかなか、前向きには思えないとだろうと分かってはいますが、その先にきっと新しい道が始まると思って、もうちょっとだけ頑張ってもらえたらと思います。

今日も聞いていただきありがとうございました。次回をお楽しみに!

あなたにとっての、もうひとつの居場所に。

ユノートルでした。

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